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大阪地方裁判所 昭和46年(ワ)6189号 判決

高槻市弥生が丘町一三番七号

原告 古川新一

右訴訟代理人弁護士 小林勤武

同 石川元也

同 鏑木圭介

東京都千代田区丸の内一丁目六番五号

被告 日本国有鉄道

右代表者総裁 藤井松太郎

右訴訟代理人弁護士 高野裕士

右指定代理人 江川義治

〈ほか一四名〉

右当事者間の頭書事件について、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

原告が被告の従業員たる地位を有することを確認する。

被告は原告に対し金九、二二四、九九〇円および昭和五〇年三月一日から本判決確定の日にいたるまで毎月二〇日かぎり金一五四、四〇〇円の月額割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は第二項にかぎり仮に執行することができる。

事実

第一、当事者双方の求める裁判

一、原告

主文第一、四項と同旨および、「被告は原告に対し金九、四八四、七七〇円および昭和五〇年三月一日から本判決確定の日にいたるまで毎月二〇日かぎり金一五八、五九〇円の月額割合による金員を支払え。」との判決ならびに金員請求部分につき仮執行の宣言。

二、被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。

第二、当事者の主張

一、請求の原因

1、被告(以下国鉄ともいう。)は日本国有鉄道法(以下国鉄法という。)に基づいて設立された鉄道運輸事業などを営む公共企業体であり、原告は被告に雇用された職員であって、被告の職員で組織する国鉄労働組合(以下国労という。)の組合員として、昭和四四年一〇月当時国労大阪地方本部吹田支部吹田第一機関区分会の執行委員長の地位にあったものである。

2、被告は昭和四四年一二月二二日付で原告を解雇したとして、原告の従業員としての地位を争い、就労を拒否し、賃金、諸手当等の支払をしない。

3、原告は、右解雇当時動力車乗務員として、これに適用される給料表の七職群四八号俸として毎月金六五、七〇〇円の基準内賃金(これは、被告制定にかかる職員賃金基準規定に定める基本給、基本給加算額(昭和四六年四月一日から廃止)、都市手当(旧称、暫定手当)および扶養手当の合算額である。以下同じ。)を受給していたが、その後、別表一記載の各始期に同表記載の移行事由によりそれぞれ同表記載のとおり新職群、号俸に昇給、昇給などして基準内賃金が順次改訂されたものである。もっとも、昇格については、原告はおそくとも昭和四五年四月一日まで八職群に昇格できたのであり、また同日付昇格については、原告は昭和四四年一一月九日国鉄法三一条により戒告処分を受けているので、国鉄と国労間の「昭和四五年四月期の昇給に関する協定」により通常四号俸昇給すべきところ一号俸減となり三号俸昇給となるものである。

また、被告の職員はすべて昭和四五年一月から昭和五〇年二月までの間別表二記載のとおりの支給率による期末手当その他の諸手当を受給し、かつまた、原告は解雇前六か月間に一か月平均にして金一、二八六円の乗務員旅費および金二、九〇四円の割増賃金(以上合計金四、一九〇円)を支給されていた。

したがって、原告は、本件解雇処分がなかったならば、別表一および二記載のとおりの基準内賃金(ただし、別表一の番号1の基準内賃金は昭和四四年一二月二三日から同月三一日までの九日間一日金二、〇八九円六四銭の割合による平均賃金一八、八〇六円に三か月分の基準内賃金を加算したものである。)および期末手当その他の諸手当、ならびに昭和四五年一月一日から昭和五〇年二月二八日までの六二か月間、一か月金四、一九〇円の割合による乗務旅費および割増賃金(合計金二五九、七八〇円)を受給できたものであり、その総合計は金九、四八四、七七〇円となる。また、原告は昭和五〇年三月一日以降も前記八職群七四号俸として毎月基準内賃金一五四、四〇〇円および乗務旅費、割増賃金四、一九〇円、以上の合計金一五八、五九〇円を毎月二〇日の給料日に支給されるはずである。

4、よって、原告は被告に対し、原告が被告の職員たる地位にあることの確認および前記未払賃金合計金九、四八四、七七〇円ならびに昭和五〇年三月一日から本判決確定の日にいたるまで毎月二〇日かぎり金一五八、五九〇円の月額割合による賃金の支払を請求する。

≪以下事実省略≫

理由

一、請求の原因1・2記載の事実および被告の主張1冒頭の部分記載の事実(被告が昭和四四年一二月二二日付でその主張の理由により原告を解雇する旨の意思表示をなしたこと)は当事者間に争いはない。

二、そこで本件解雇の効力について検討する。

1、本件争議行為の実情

(一)、国労の組織

≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められ、これに反する証拠はない。

(1)、国労は、本部を東京都におき、組合員の生活と地位の向上をはかり、国鉄の業務を改善し、民主的国家の興隆に寄与することを目的とする全国的規模を有する単一組織の労働組合であって、本部に最高決議機関として全国大会、および大会に次ぐ決議機関として中央委員会、ならびに、大会または中央委員会の決議の執行機関として中央執行委員会が設けられ、また、下部機関として、国鉄の各支社相当地域に対応させて地方における本部(六)、各鉄道管理局相当地域ごとに地方本部(二七)、また、地方本部のなかに地域または府県別あるいは職能別ごとに支部(約三〇〇)、さらに、支部のなかに職能または職場ごとに分会(約二七〇〇)が設置され、なお、昭和四四年一〇月当時における組合員数は約二八万人であった。

地方における本部は、その地方における団体交渉を行う単位とされ、傘下の地方本部間の調整指導を行うことを主たる任務とし、また、地方本部はその活動地域内における主たる行動と団体交渉の単位であって、かつ、決議執行の機関であり、また、支部は決議執行機関であり、さらに、分会は当該職場における団体交渉の単位であり、これらの下部機関はそれぞれ本部に準じて大会(地方における本部を除く)、委員会および執行委員会が設置され、かつ、本部、地方本部・支部・分会は順次上下の関係にあり、下部機関は上部機関の指示、指令に拘束され、とくに、全国大会で決定された方針に反する下部機関の決定は無効とされ、かつまた、下部機関が本部機関の決定に反する執行をなしたときは、中央執行委員会は当該下部機関に対し正当な運営を行わせるため必要な是正措置をとることができることになっている。

(2)、次に、国労が闘争を行うに当っては、まず、全国大会で基本的な方針を決定し、これをふまえて中央委員会で具体的な戦術を決定し、さらに、中央執行委員会はこれら決定の範囲内において闘争手段を一層具体化し、これを下部機関に指示指令するという方法をとっている。なおまた、中央執行委員会は闘争に関する一切の交渉を行う権限を有し、かつ、その必要と認めたときは、運動の指導調整および戦術判断を行うため、諮問機関として戦術委員会をおくことができるのである。

また下部機関にあっては、まず地方本部は、中央執行委員会より伝達された闘争指令をうけて、その指令の範囲内において具体的な闘争実施方法を検討し、これを各支部、分会に伝達する。ただ、闘争の目的、時間、場所など主要事項は原則的に中央執行委員会で決定され、一部例外的にストライキ等を実施する具体的な拠点を決定する権限などをとくに地方本部に与えられることはあった。しかし、分会は闘争に関して独自に決定できる事項はなにもなく、したがって、分会の執行委員長は上部機関から受けた指示、指令をそのまま組合員に伝達し、自らも右指示等に従って行動することを要し、かつ、闘争に関する組合員の意思を集約することを主要な任務としているものである。

(二)、本件争議行為に至る経緯

当事者間に争いのない事実に、≪証拠省略≫を総合すれば、次の事実が認められこれに反する証拠はない。

(1)、被告は、昭和四二年三月三一日国労を含む国鉄三労働組合に対し、国鉄財政の窮状を打開し、国鉄を真に国民の要請に応える健全な鉄道にするため、業務全般にわたり抜本的な刷新を実施し、積極的に合理化、近代化をはかることを企図した五万人合理化計画を発表し、その一環として、乗務人員の適正化を行うため、「EL・DLの動力車乗務員数は機関士一名乗務を原則とする。」旨の、いわゆる一人乗務制の提案を行ったが、その理由とするところは、「EL・DLには、SLの運転に必要な焚火作業がないので、この作業に必要であった機関助士を乗務させる要はなく、機関士の一人乗務で十分運転することができ、現に国鉄の電車、気動車の大部分(当時で約八〇パーセント)はすでに運転士の一人乗務を実施し、しかも、安全性は十分確保できている。」というにあった。そして、被告は、右一人乗務制の実施により職員五、七〇〇名を削減できるものと目論んでいた。

なおまた、被告は、この一人乗務制は安全のための設備を充実しつつ段階的に実施するものであり、かつ、一人乗務制の実施に伴い過員となった機関助士は原則として機関士、運転士に登用するのであり、強制的な人員整理は行わない旨を明らかにした。

これに対し、国労ら組合側は、被告の右提案は専ら国鉄の赤字財政克服のため輸送の安全性確保などを全く無視した無謀な施策であって、一人乗務制の実施は輸送の安全性および動力車乗務員の労働強化に直接つながる重要な問題であるとの理由により、右提案に対し根本的に反対する態度を示した。このため、労使間の交渉は難航し、翌四三年九月まで膠着状態が続いた。

しかるところ、被告は昭和四三年一〇月一日付で国鉄ダイヤの全面改正を行うのを機に右の一人乗務制を強行実施する意向を示し、これに対して、国労、動労は共闘体制を組み、被告の右強行実施を阻止すべく同年九月一二日に一二時間の半日ストライキを実施したが、被告は右強行実施の態度を変えなかった。

しかし、国労、動労は同月一七日被告に対し、「EL・DLの一人乗務制の安全性を単なる経験と勘のみで判断することは危険であり、その安全性を裏付けるため、医学的、心理学的、工学的見地より専門的に検討すべき必要がある。」旨を強く提案したところ、被告も、右専門的な検討の必要性を認め、ただ早急に主要問題につき検討すれば足りるとの見地から、調査期間は約二ヵ月、坂阜を利用した貨車の仕分および簡単な入換作業などは調査対象からはずすこと、調査は学界の権威に依頼すること、との条件を付して右提案を受諾する旨を回答し、その後、さらに社会党、総評による仲裁などを経て、同月二〇日右労使間にEL・DL乗務員数問題についての当面の処理に関する覚書が取交され、これにより両者間に、「EL・DL乗務の安全問題については別に設ける委員会(EL・DL委員会)に依頼する。委員会から答申された内容は尊重する。労働条件については団体交渉で決める。」旨の協定が成立した。

そこで、右労使の共同推せんにより大島正光東京大学医学部教授ら五氏が右委員に選任され、かくして、EL・DL委員会は同年一〇月一八日正式に発足した。

(2)、EL・DL委員会は発足当日から翌四四年三月二四日までの間に一五回の会合を開いて調査検討を行い、また、その間、国鉄労研備付の資料、委員および労使提出の資料、延べ一五回にわたる全国各線区走行列車の添乗調査、ならびに、平均的な乗務条件によるモデルダイヤにより一人乗務と二人乗務を対比する目的のため、岡山・広島間乗務調査試験(昼間に施行)を行い、さらに、外国におけるEL・DLの乗務制の現状等をも検討を加えて、同年四月九日概要次のとおりの調査報告書を提出した。

「諸外国におけるEL・DLの一人乗務制の進展状況、わが国の私鉄における一人乗務制の普及度、国鉄の電車、気動車の一人乗務制の実施状況などを考えると、国鉄においてもEL・DLを一人乗務にする客観的条件は熟している。前記岡山・広島間の調査試験の結果からみても、一人乗務の生理的負担はその生理的限界を越えるものではなく、また、国鉄労研の行った調査結果を照合すると、夜間における一人乗務の生理的負担もその生理的限界を越えていないから、前記岡山、広島間で実施した条件より運転の平易な路線では原則的に一人乗務が可能である。また、一人乗務の可能性については、乗務条件、生活条件など種々の条件を総合勘案するのはもちろん、さらに、安全の面をも十分考慮して判断する必要があるが、EL・DLにつき一人乗務が二人乗務よりも事故率が少なくとも増えていないのは、一人乗務を進めるうえで安全について基本的な危惧がないといいうるから(とくに、前記種々の条件の改善により、安全性が一層増加することは諸外国における実情からしても明白である)、国鉄は実績をみながら漸進的に一人乗務に切替え、これを前提とする施策を実施すべき時期に来ている。」

(3)、そこで、被告は、前記の昭和四三年九月付協定に基づき、EL・DL委員会の調査報告書を基礎として早急に一人乗務制の実施をはかるため、昭和四四年四月二二日以降国労、動労と団体交渉をもったが、これに対し、国労、動労は、EL・DL委員会は予定された調査を十分行わないで調査を打切り調査報告を行い、それゆえ当事者が同委員会に要請した調査事項すなわち、列車密度、信号機の条件、線路条件、列車の種類・種別、昼夜別、気象条件などを加味して一人乗務制の適否を調査検討するという問題について十分な調査をなさず、とくに夜間の一人乗務に関しては資料に基づかず単なる推論により結論づけていることからすれば、その調査活動は科学性に欠け、安全性に対する科学的究明を怠るものであり、かつまた、国鉄当局に追随的であったといわざるをえない等の理由を挙げ、被告の一人乗務制実施に反対し、かえて、右委員会の調査報告に対しては専門的見地からする再検討を行う必要がある旨を被告に提案した。

しかるところ、被告は、同年五月一二日国労、動労に対し、EL・DL委員会の調査報告を再検討すること自体には異存はないが、これとは別に、右調査報告に基づき車両の改造などを行ったうえで同年六月一日ないし同年一〇月一日の間に順次一人乗務の部分的実施を試み、昭和四五年一〇月一日までに一人乗務制の原則的完全実施を期したい旨の、一人乗務への移行に関する具体的計画案を発表したが、これに対し、国労・動労は、取り敢えず安全性について十分な専門的検討を加えることが緊要であるなどを理由に被告の一人乗務制の部分的実施に対し真正面から反対したため、交渉は容易に纒らなかった。

折しも、EL・DL委員会の委員五名は、労使双方に前記調査報告書の内容を正しく理解してもらうべく同年五月二九日とくに覚書を発表し、EL・DLの機関助士廃止は将来の方向ではあるが、その実施には保安設備の強化拡充、労働条件・生活条件の改善、技術の進歩、自動化の導入などいろんな条件が解決されなければならず、無制限に一人乗務を拡大してよいとか、あるいは何年内に全廃が可能であるとかは右報告書は断定しているものではないことを明確にした。国鉄労使はこのような覚書の内容などをもふまえて団体交渉を行った結果、同月三〇日国労・動労と被告間に、「安全が確保され、基本的要求および時間短縮をはじめとする動力車乗務員の具体的条件が改善されることを前提に、一人乗務制について九月時点で集約するため鋭意交渉を行う。被告は一人乗務制の六月実施にはこだわらない。」(要旨)旨の確認が行われ、引き続き団体交渉がもたれた。

(4)、一方、国労・動労からEL・DL委員会の調査報告書に対して専門的な検討を委嘱された安全調査委員会は、大島藤太郎中央大学教授ら八名の専門家を委員として同年五月二四日正式に発足し、調査研究を行ったすえ同年九月一〇日「EL・DL委員会の調査報告書批判」を発表し、そのなかで、右調査報告書は機関助士廃止の客観的条件についての科学的結論を出しておらず、一人乗務制実施の社会的傾向や推論をまじえた主観的独断が多く、とくに、同委員会が最重視した岡山・広島間の調査試験もそれがなぜ平均的条件を具備しているのか、その理由を明確にせず、かつ、その内容自体安全性検討の要件をそなえているものといえないばかりか、全般に、EL・DL乗務員の特殊性、作業内容、労働条件などに対する認識と分析が不足し、しかも、一人乗務の安全性の検討について論理の飛躍がみられるから、国鉄当局が右報告書を基礎として機関助士廃止を実施に移すことは極めて危険である旨を指摘した。

(5)、しかし、被告が、同年一〇月一日のダイヤ改正を機会に一人乗務制を強行実施するであろうと予測した国労・動労は安全調査委員会が指摘した問題点を提示し、かつ、同年九月二七日に一二時間の半日ストライキを実施することを背景に団体交渉を行った結果、同日右労使間に、「EL・DLの乗組基準および動力車乗務員の労働条件については誠意をもって引き続き協議し、一〇月末を目途に解決する。」旨の確認がなされ、これにより同日予定のストライキは中止され、一人乗務制の実施も一ヵ月間延期となった。

そして、右労使間で引き続き、夜間の一人乗務の問題点などを中心に、解決を目指して積極的に団体交渉が行われ、そこでは、従前の如く「機関助士廃止の白紙撤回」とか「同助士全面廃止」とかの極論は消え、相互に歩み寄りが見られたものの、一人乗務制実施の時期、規模という基本問題については、依然として被告側が一人乗務制の即時強行実施、二人乗務の漸進的解消を主張しているのに対し、国労、動労側は輸送の安全性確保などのため二人乗務の存続・助士廃止反対の原則論を固執してゆずらなかったから、同月二〇日頃現在においては、両者の主張にはなお相当の懸隔がみられた。

(三)、闘争態勢の確立

≪証拠省略≫を総合すれば、次の事実が認められ、これに反する証拠はない。

(1)、国労は、昭和四四年六月二三日から同月二七日にかけて盛岡市岩手教育会館において開催した第三〇回定期全国大会で、EL・DL機関助士反対闘争について、「団体交渉のみによる解決は、すでに限界に近づいているので、九月以降においては組織の総力を結集し、順法闘争などを繰りかえし、さらに強力なストライキを実施して徹底的に闘う。」旨の闘争方針を決定し、これを受けて同年一〇月八日、九日の両日開催された第八七回中央委員会において、「EL・DL機関助士廃止に反対し、ストライキで組合要求を闘いとる。右反対闘争は動労との完全共闘により行うものであって、一〇月末実施のため強力な組織作りを行う。同月二〇日頃に全国戦術委員長会議を開催し、戦術計画の細部を検討し、さらに職場討議の集約と解決目標についての意思統一をはかる。右闘争の解決目標は動力車乗務員の時間短縮の実施、動力車乗組基準の確定、予備員配置率の引上げ等とする。」ことを確認した。

(2)、一方、同年一〇月一七日、総評、国労、動労、全交運の四者による助士廃止反対共同闘争委員会(以下共闘委員会という。)が正式に発足し、同委員会は同月一七日、一八日の両日戦術委員会を開催して、おおむね次のとおり具体的な戦術計画を確認した。

(イ)、本件闘争の基本的統一目標をEL・DL助士廃止反対(その趣旨は機関助士制度を存置し二人乗務を最大限に確保するにある。)および動力車乗務員の時間短縮とする。

(ロ)、一〇月二〇日から一一月一日までを合理化反対統一行動期間とし、一〇月二〇日以降三六協定を破棄し、同月二五日から全職場において順法闘争に突入し、かつ、ビラ貼りを実施し、同月二八日を中心にして鉄道管理局所在地などで国労、動労の共同スト宣言集会を開催する。また、同月二九日から強力順法闘争に突入し、同月三一日午前〇時(国電初発)以降東京・大阪の国電ATS順法闘争を実施する。

(ハ)、国労、動労は同月二二日までに全国戦術委員長会議などを招集して意思統一をはかり、同日午後四時から再び戦術委員会を開催し、戦術配置についての最終確認を行う。

(ニ)、ストライキ実施時間は同月三一日午後七時から翌一一月一日午前一二時までとし、A・B両グループに分れて、次の地方本部内にストライキの拠点を設定する。

Aグループ(三一日午後七時から一一月一日午前九時まで)

青函、札幌、盛岡、仙台、熊本、水戸の各地方本部

Bグループ(三一日午後一〇時から一一月一日午前一二時まで)

東京、静岡、名古屋、大阪、長野の各地方本部

(3)、そこで、国労は、同年一〇月二一日中央執行委員会を開催して、共闘委員会の前記確認に基づき本件闘争の戦術内容を決定し、翌二二日には全国戦術委員長会議を開催してストライキの拠点、突入時間等の戦術配置について最終的な確認をなし、なおまた、動労との合意のもとに同月二一日付で中央執行委員長中川新一名をもって、指令第一五号を地方における本部および地方本部の各執行委員長あてに発した。右指令の内容は概ね次のとおりである。

(イ)、別に指定した地方本部(前記A・Bグループに属する地方本部)は一〇月三一日から一一月一日にかけて機関区、電車区等を指定してストライキに突入すること。具体的なストライキ実施方法は別に指定する。

(ロ)、別途指示する統一宣伝活動については、積極的に行うこと。

(ハ)、各関係地方本部は動労、県評代表者を入れて地方共闘委員会を設置し、具体的行動について調整する。

(4)、また、国労大阪地方本部は同年一〇月一七日第七一回地方委員会を開催して、前記中央委員会の決定に基づき本件闘争方針を決定し、本件ストライキへの意思統一を行い、同日付で大阪地方本部執行委員長坂田正治名をもって、傘下の支部、分会の各執行委員長にあて地方本部指令第八号を発し、これにより、「EL・DL助士廃止反対の一〇月末決戦闘争の意思統一のため、繰りかえし職場集会を開催し、完全な闘争体制を速かに樹立し、また、動力車区の分会は一〇月二五日までにストライキの準備を確立すること、各支部、分会は動労との共闘を積極的に行うこと」などを指示した。

(5)、さらに、国労大阪地方本部は、同月二〇日動労大阪地方本部と共闘委員会を設置して、本件闘争を成功させ共闘を将来にわたって持続発展させ、かつまた右闘争の中核的役割を果すことを相互に確認するとともに、自らの具体的な戦術計画を樹立し闘争態勢に入った。次いで、国労大阪地方本部は、同月二四日執行委員会を開催し、本件闘争の具体的戦術内容等を決定し、同日付で同執行委員長坂田正治名をもって傘下の支部、分会の各執行委員長あてに指令第九号を発してこれを伝達したが、その内容は概ね次のとおりである。

(イ)、各支部は、同月二五日以降組合旗を掲出し、ビラ貼りを強化し、また、同月二七日には懸垂幕を一斉に掲出するとともに、リボン闘争を一層徹底し、その他創意を生かし地域事情を加味した内外にわたる宣伝活動を強化すること。

(ロ)、動労の各支部に近在する国労各支部、分会は、右動労各支部とともに共闘委員会を設置し、強力なる共闘を実施すること。

(ハ)、各支部、分会は、一〇月二五日以降次のとおり順法闘争を徹底強化すること、すなわち、全職場において安全点検と規定規則を守る順法行動を強化し、同月二九日以降ATS闘争等の安全順法闘争を強力に実施展開し、同月三一日午前〇時からは環状線電車乗務員および本線関係動力車乗務員によるATS闘争等の最強力順法闘争を実施する等である。

(ニ)、電車乗務員は、従前より行っている暗幕・アゴヒモ闘争を的確に実施し、かつまた機関区関係者も一〇月二五日から暗幕・アゴヒモ闘争を実施すること。

(ホ)、各支部、分会は、ストライキの拠点となった分会の組合員に対する支援激励行動として自主的に動員計画を立ててこれを実施すること。

(ヘ)、当面の合理化粉砕の目標であるEL・DL機関助士廃止、動力車乗務員の時間短縮の闘争解決のため、一〇月三一日午後一〇時から一一月一日午前一二時までの一四時間ストライキを配置する。ストライキの拠点および具体的実施方法は別途指示する。

(6)、なおまた、国労大阪地方本部は、中央本部の了解のもとに、同月二七日、吹田第一機関区、吹田第二機関区および高槻電車区ほか五ヵ所の職場を本件ストライキの拠点として選定し、直ちに、その旨を関係支部、分会に伝達した。

(7)、また、吹田第一機関区分会は、同月二三日大阪地方本部の前記指令に基づき動労吹田第一機関区支部と共闘委員会を設置し、かつまた、分会の組合員に対し職場集会を行うなどして前記指令の趣旨を伝達するとともにスト態勢の準備を推進した。

(8)、最後に、国労は、中央本部指令に基づき、本件ストライキを着実に実施するため、ストライキの拠点を擁する支部単位で現地闘争本部を設置し、大阪地方本部吹田支部にあっては、同年一〇月三一日午前中に、同支部傘下のストライキ拠点たる吹田第一機関区、吹田第二機関区および高槻電車区における分会組合員の争議行為の指揮、指導、実施のため、湊中央執行委員、大阪地方における本部(関西本部)の小川副委員長、坪田大阪地方本部執行委員、および松谷吹田支部執行委員長を構成員とする現地闘争本部(以下吹田地区現地闘争本部という。)を設置し、その事務所を吹田第二機関区分会組合事務所に置き、同闘争本部は、前記三拠点における職場集会の開催、動員者の配置、対当局交渉など闘争の具体的実施について指揮指導を行った。

(9)、なお、原告は本件ストライキの拠点の分会執行委員長として、吹田地区現地闘争本部の指揮、指導に基づき、分会の組合員に対し必要な連絡および適当たる指示を行った。(ところで、被告は、原告が第二一回国労大阪地方本部定期大会に代議員として、第七一回同本部地方委員会に地方委員としてそれぞれ出席し本件争議行為の企画に参加し、これを共謀したと主張しているが、これを認むべき証拠はない。)

(四)、本件争議行為の経過とその影響

当事者間に争いない事実に≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められ、これに反する証拠はない。

(1)、本件争議行為の経過

国労、動労は、同年一〇月二〇日被告に対し、「助士制度の存置、動力車乗務員の時間短縮問題の解決、同乗務員の労働条件の改善、予備員配置の適正化」等を要求した統一申入れを行い、爾後、右統一申入れ、とくに夜間における一人乗務の安全性および動力車乗務員の時間短縮を中心に労使間で積極的に団体交渉がもたれたすえ、被告は同月三一日右統一申入れに対する最終回答を発表して助士廃止、一人乗務問題に関する最終的態度を明らかにしたが、その骨子は、一人乗務の安全性はすでに明確であるから、早急にその部分的実施を始めたいというものであり、すなわち現在、国鉄の機関助士数は約九、〇〇〇名であるところ、国鉄の全列車のうち、特別急行列車(短区間運転の場合を除く)、〇時から六時までの時間帯にわたり一継続乗務時間が二時間三〇分以上の場合、通票(タブレット)を取扱う列車、蒸気暖房機を乗せた列車などについては原則として二人乗務を継続し、これに要する機関助士三、五〇〇名は暫定的に存置するが、これを越える機関助士は昭和四五年末までに順次全員廃止したいというものであった。なお、被告は、過員となった機関助士については機関士養成コースで教育し、将来増発される列車の機関士および乗務時間の短縮分を補充する機関士に発用する意向を示していた。これに対し、国労、動労は、基本的に機関助士制度を存続させるべきであり、かつまた、輸送の安全性確保のため、特別急行列車、急行列車、長距離列車、長時間運転列車、および午後一〇時から翌日午前六時までの時間帯を走行する夜行列車については絶対的に二人乗務にすべきことを主張し、なおまた、前記過員となる機関助士が機関士に登用されても、これに見合う乗務可能な余剰の列車は存しないから、結局、給与の高い中高年機関士は他の職場に配転されることはさけられないとして、被告の最終回答に反対をとなえたため、労使の交渉は妥結するに至らず、そこで、国労、動労は予定どおり昭和四四年一〇月三一日午後七時より本件ストライキに突入したが、その後数次にわたる交渉のうえ、翌一一月一日早朝、共闘委員会議長の岩井総評事務局長と山田国鉄副総裁との会談の結果、交渉は妥結し、国労、動労は同日午前八時三〇分本件ストライキの中止指令を発し、その頃右ストライキは中止された。

なお交渉妥結の内容は次のとおりである(ただし一人乗務制に関する部分のみ記載)。

「乗務区内一〇〇キロ以上の特別急行列車、同一三〇キロ以上の急行列車、連続無停車二時間以上の旅客列車および貨物列車、午前〇時から午前六時までの深夜帯にわたって二時間以上運転する場合、蒸気暖房機を乗せた列車、通票(タブレット)を取扱う列車は二人乗務とし、これに必要な機関助士三、五〇〇名を存置する。」

(2)、本件争議行為の影響

(イ)、国鉄開設以来といわれる国労、動労の共闘により、北海道から九州まで全国約二〇〇の拠点で約一三時間三〇分にわたり行われた本件本土縦断ストライキの結果、東海道新幹線を除く、東海道本線、山陽本線をはじめとする太平洋岸沿いの国鉄主要幹線のダイヤは大混乱に陥り、一一月一日午前一一時現在、特別急行列車・急行列車計二三本、ローカル旅客列車五二六本、貨物列車九〇八本、以上合計一、四五七本という多量の列車が運転休止となり、ほかに、途中で立往生し遅延した列車も合計三四四本の多数にのぼり、同日は終日列車のダイヤが混乱し、全国の長距離旅客列車のダイヤがほぼ平常に戻ったのは同月二日午前中、また貨物列車はダイヤ回復まで五日間以上を要した。

また、本件ストライキの時間帯が一一月一日早朝の通勤通学時間に喰い込んだため、東京・大阪周辺における国電の運転休止・遅延により通勤通学客に及ぼした影響も大きく、とくに湘南、横須賀線電車は八割、東海道・山陽線(米原姫路間)電車は約三分の二、大阪環状線電車は四四本がそれぞれ運転休止となり、そのため、東京・大阪周辺の各駅(大阪環状線を除く。)では午前一〇時から午前一一時頃までの間乗車券の発売を一時停止し、かつまた、東京周辺の一部の駅では一時改札止めのでる程の大混乱を呈した。

(ロ)、本件ストライキが吹田第一機関区の運輸業務に及ぼした影響についてみるに、まず、吹田第一機関区は、当時DL六三両、SL一一両を保有し、機関士および機関助士合せて三四四名、検査修繕等の要員二二八名、管理者一三名、以上合計五八五名の職員が勤務し、吹田操作場駅到着の貨物列車の仕分および列車組成(一日平均一六〇本)に必要な入換作業、ならびに同駅と近郊駅間の短区間貨物列車の運転を主たる業務とし、また、吹田操車場駅は、総面積約七六万平方メートル、東西の延長約五、六〇〇メートル、一日平均貨車取扱数約八、〇〇〇両の規模を有する全国一の操車場駅であって、東西貨物の輸送の中継点、大阪経済圏を背景とする貨物輸送の要であり(以上の事実は当事者間に争いはない)、とくに京阪神間の各中央市場等へ特殊継送すべき生鮮食料品も多量に取扱っているところ、本件ストライキにより合計七一名の機関士および機関助士が延べ五〇三時間一六分にわたり欠務し、そのため、ストライキ時間帯に運行予定であった短区間貨物列車のうち、福知山線方面行列車九本中七本、梅田線方面行列車六本中五本、城東貨物線方面行列車三本全部がいずれも運転休止となり、かつ、これと連鎖的にストライキ中止後吹田操車場駅に到達予定の貨物列車二〇本(福知山線八本、梅田線九本、城東貨物線三本)が運転休止となり、また、右ストライキ時間帯に入換用機関車一一台による同駅作業は全面的に休止され、貨物列車一二本の仕分、および貨物列車六七本の組成が不可能となり、その結果、同月一日午前八時現在、同駅には二、四六二両(約二七、九〇〇トン)にのぼる貨車が滞留した(因みに、同駅の一日平均滞留貨車数は当時一、七六七両であった)。しかし、同月二日午前八時一、八四九両、同月三日午前〇時一、九九九両、同日午前八時一、六九八両と滞留貨車は次第に平常に戻ったが、なお同日中は同駅の機能は順調ではなく、貨物列車一四本が中間駅で抑留されたままで、ストライキの影響は完全には解消されなかった。

(なお、被告が主張する、本件ストライキの影響により前記生鮮食料品の腐食、あるいは、貸物の運送に関しクレイムが発生した事実は、これを認めるに足りる証拠はない。)

(五)、原告の具体的行動

(1)、次の事実は当事者間に争いがない。

(イ)、原告は、昭和四四年一〇月二三日国労吹田第一機関区分会の名において、「EL・DL助士廃止反対等の諸要求の前進をはかるため、同月三一日および翌一一月一日に強力な長時間ストライキを決行することを決意し、断固として闘う。」旨の動労との共闘宣言を発表した。

(ロ)、原告は、同年一〇月二七日から同月三〇日までの間、連日にわたり同機関区詰所において、乗務員を対象に毎日数回共闘職場集会を開催し、また、同月二七日同機関区検修詰所において構内関係職員を対象に職場集会を開催した。

(ハ)、原告は、同月二八日午後五時頃同機関区給水塔横広場において開催された国労吹田地区決起集会において前記分会の代表者として、集合した国労組合員約二〇〇名に対し、「国労、動労の共闘で力強く闘おう。」と呼びかけた。

(ニ)、原告は、その頃、闘争意識昂揚のため、同分会所属の全組合員に対し、服制違反行為である腕章、リボン、ワッペンの着用、アゴヒモをしない行動を実施するよう指示し、かつ、これを実行させた。

(ホ)、原告は、同月二八日頃同分会の掲示板に、「一〇・三一、一一・一ストライキを成功させるため、全組合員は団結して闘おう。」と記載した分会共闘委員会名義のビラを掲示した。

(ヘ)、原告は、その頃、共闘委員会の名において、同分会所属の全乗務員に対し、本件ストライキの前段階的闘争であるATS順法闘争を強化するよう指令を発した。

(ト)、原告は、同月二九日と三〇日の両日の各昼休み時間中、分会所属の組合員約八〇名を集めて構内デモを実施し、その際、デモの先頭に立って笛を吹き、かつまた、「機関助士廃止反対」、「一〇・三一ストを闘い抜こう」などとシュプレヒコールを行い、右デモを指揮した。

(チ)、また、同月三一日午後五時三〇分頃同機関区食堂前において組合員約四七〇名が集って職場集会が開催され、かつまた、同日午後七時頃同機関区給水塔付近において組合員約五二〇名が集ってスト突入総決起集会が開催された。

(リ)、原告らは、本件ストライキ中止後の同年一一月一日午前九時三〇分頃から約三〇分間、国労組合員約三五〇名を集めて解散大会を開催し、その際、原告は、「国労、動労の共闘で大きな成果をあげた。」「国鉄当局はあらゆる弾圧を加えてきたがそれをはねかえした。」などと演説した。

(2)、≪証拠省略≫を総合すれば、次の事実が認められ、これに反する証拠はない。

(イ)、原告は、前記(1)・(ロ)の各職場集会においては、いずれも本件闘争は中央本部の指令に基づくものであって、全員が団結して事に当るように述べて組合員の意思統一をはかるとともに、右闘争の準備状況の報告および本件ストライキの決意表明を行った。

(ロ)、また、原告は、昭和四四年一〇月二八日開催の前記決起集会において、「一〇・三一共闘で闘い抜こう。」などと挨拶した。

(ハ)、同年一〇月三一日開催の前記職場集会および総決起集会はいずれも国労・動労の共闘委員会がストライキに参加する乗務員を激励するため主催した集会であるところ、前記の松谷支部長は司会者となって両集会の運営を取りしきり、また、原告は、集会の運営等には一切関与しないで、ただ、右集会の最終段階になって、拠点の分会執行委員長の一人として、他の拠点の分会執行委員長らと同様に、本件ストライキに突入する旨の決意表明を行ったにすぎなかった。

(ニ)、なお、国労吹田支部および傘下の分会等においては、ストライキに突入する前段階の準備的な闘争として、前記の如き順法闘争、構内デモの行われることは恒例となっており、また、前記の職場集会あるいは決起集会はストライキの拠点となったか否かにかかわりなく各支部、分会で実施されてきたし、なおまた、本件闘争について、吹田第一機関区分会が行った前記の各行動は、すべて中央本部、地方本部等の指令に則り行われたものばかりであって、同分会が独自の立場で特別に行った行為はなかった。

(3)、≪証拠省略≫を総合すると、吹田地区現地闘争本部は、同月三一日、本件ストライキに参加する乗務員を同本部指定の旅館に収容する旨を決定し、同日午後七時より開催した前記総決起集会で右ストライキ参加の意思を表明した同分会所属の動力車乗務員十数名を激励したのち、これらの者を前記の指定旅館に収容したことが認められ、これに反する証拠はない。

(4)、≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められ、これに反する証人前田繁の証言は措信できず、他にこの認定に反する証拠はない。

(イ)、被告は、同月三一日午後一一時前頃吹田第一機関区中給水乗務員休憩所に、翌一一月一日午前〇時から勤務に就く予定の同機関区所属動力車乗務員(貨車入換作業担当)一一名を収容し、大阪鉄道管理局員および鉄道公安職員計二十数名で右乗務員らをストライキに参加させないよう保護した。

(ロ)、一方、右直後頃、被告が右乗務員らをストライキに参加させないよう保護していることを知った国労、動労側は、前記松谷国労吹田支部執行委員長らを中心として組合員約一〇〇名が右中給水乗務員休憩所に集り、右乗務員らに対しストライキに参加するよう呼びかけたところ、間もなく四名の乗務員がストライキに自主的参加する旨の意思を表明して同休憩所内から退出した。なお、原告はその頃被告側の乗務員収容の事実を聞知して右休憩所に到着した。

(ハ)、ところで、右休憩所内にはなお国労組合員一名、動労組合員六名の計七名の乗務員が残留していたところ、労使協議の結果、双方がそれぞれ三回ほど説得活動を行い、その後ストライキに参加するか否かは本人の自主的判断に委ねる旨の合意が成立し、そこで、被告側は上杉大阪管理局保線課長補佐、前田同機関区指導助役ら三名ぐらい、組合側は前記松谷国労吹田支部執行委員長、前記松井動労吹田支部執行委員長および原告の三名が右休憩所内に残って、それぞれ三回ずつ右乗務員らを説得したうえ、その自主的判断に任せたところ、間もなく、そのうちの国労組合員一名はストライキ参加の意思を表明して右休憩所から退出した。その後、前記上杉課長補佐と前記松井執行委員長が残留して動労組合員六名に対しさらに説得活動が行われたが、間もなく、右六名もストライキ参加の意思を表明して同所から退出した。

(ニ)、なお、右説得活動に際しては、組合側は前記松谷執行委員長が主導的立場に立って積極的に説得活動を行ったものであって、原告は右松谷を補助し、ヤジ程度の発言を行ったに留った。

(5)、≪証拠省略≫を総合すれば、次の事実が認められ、これに反する証拠はない。

(イ)、吹田第一機関区の管理者は、同年一一月一日午前八時頃代替乗務要員を宮原機関区まで搬送すべく、吹田第一機関区首席助役室から代替乗務要員二名(指導員、検修助役各一名)を乗用車に乗せて出発させたところ、その直後頃組合員約四〇名のピケ隊に取囲まれて右乗用車は立往生し、ピケ隊は、「平常乗務しない指導員や助役を代替乗務要員にするのは不当だ。」「乗務員の送迎は回送列車によるべきだ。乗用車を利用するのは規則違反だ。」「正規の点呼は受けているか。」などと抗議した。

(ロ)、管理者側はピケ隊に対して乗用車の進行を妨害しないよう警告したが聞き入れず、鉄道公安職員二名によりピケ隊の排除を試みたができなかったので、さらに鉄道公安職員二〇名の出動を要請した。

(ハ)、一方、ピケ隊が前記乗用車を取囲んでいることを知った前記松谷、松井および原告は、相次いで現場に到着し、松谷は到着後間もなくピケ隊に対し、「代替乗務要員の送迎問題については別途管理者へ抗議するから、取敢えずピケを解除してもらたい。」旨を述べて説得したところ、ピケ隊はこれ了解して間もなく平静裡にピケを解除した。なお、前記乗用車は右ピケにより現場に約一〇分間停留したが、右ピケ解除後間もなく目的地に向け出発した。

(ニ)、原告および右松井は現場から直ちに吹田第一機関区長室に赴き、同区長に対し、約五分間にわたり、代替乗務要員に対し正規の点規の点呼が実施されなかったこと、同要員を乗用車で搬送したことは規則違反であること、および同要員による列車運転には輸送の安全性の面で問題があること等を述べて抗議した。

(6)、最後に、原告が同年一〇月二八日以降再三にわたり、大阪鉄道管理局長および吹田第一機関区長から文書または口頭により公労法に違反するストライキ等の違法行為を行わないよう警告されていたことは当事者間に争いのないところ、原告本人尋問の結果によれば、原告は右警告の都度管理者側に対し、本件闘争は中央本部あるいは地方本部の指示、指令に基づくものであるから、右警告には応じられない旨を回答したことが認められ、これに反する証拠はない。

2、本件解雇の効力

(一)、公労法一七条一項は憲法に違反するか。

(1)、憲法二八条は、勤労者に対し労働基本権すなわち団結権、団体交渉権その他団体行動する権利を保障しているが、それは、憲法二五条の保障する生存権の実質的確保を基調とし、憲法二七条の保障する勤労の権利などとともに経済的弱者たる勤労者の地位向上をはかり実質的な自由と平等とを確保することを目的とする基本的人権であり、それゆえ、労働基本権は私企業に従事する労働者だけではなく、公共企業体等の職員、さらには公務員についても一般的に保障さるべき権利であることはいうまでもない。

しかしながら、労働基本権といえども何らの制約も許されない絶対的なものというべきでなく、憲法の保障する他の基本的人権との関係においてその恣意的な行使は許されず、自ら合理的な制約を内包していることはいうまでもない。そして、公共企業体等の職員については、その行う職務または業務が等しく国民生活全体の利益に関連がある(多少の差、直接間接の違があるとしても)ものであり、公共企業体等の業務の停廃が一般の国民生活に影響を及ぼすものであり、特に本件の国鉄の業務についてみると、後記のように国民生活に密接に関連した業務であるから、その業務の停廃の態様如何によっては、国民生活全体の利益を害し国民生活に重大な障害をもたらすおそれのあることは疑を入れないところである。

してみると、公共企業体等の職員についての労働基本権、ことに団体行動の一つである争議をする権利(この権利行使が業務の停廃を招くのは通常である。)については、他の一般私企業の労働者の場合に比較してより多くの制約を内包しているというべきであり、この内在的制約に応じて必要な限度を超えない合理的な範囲で制限を受けることも是認されるべきである。

右の制限の限度、範囲、方法等については、公共企業体等の業務といっても、その性質、内容において公共性の強弱があり、職員の職務あるいは業務についても種々の差異があるところであるから、これを一律に規定することは困難であろうけれども、要は前記の労働基本権の保障の理念と憲法の保障する他の基本的人権ひいては国民生活全体の利益との比較考量において決するよりほかないものと考える。

(2)、ところで公労法一七条一項は、「職員及び組合は、公共企業体等に対して同盟罷業、怠業、その他業務の正常な運営を阻害する一切の行為をすることができない。又職員並びに組合の組合員及び役員は、このような禁止された行為を共謀し、そそのかし、若しくはあおってはならない。」と規定し、右文言のみからすれば、公共企業体等の職員の争議行為を一律に全面的に禁止しているものと解されなくはなく、このように解するときは労働基本権を保障した憲法二八条に違反するとの疑を免れえない。しかしながら、右規定の趣旨を、前記の公共企業体等の職員の労働基本権につき当然受けなければならない制限の限度、範囲内における争議行為を禁止しているものと解する限りにおいては、右規定を直ちに全面的に違憲とすべき理由はない。

そして、右規定のような行為の制限、禁止規定がその文言上制限、禁止の内容において広範囲に過ぎ、そのまま適用するときは憲法上保障された基本的人権を不当に侵害する要求を含んでいる場合においても、常にその規定を全面的に無効とすることなく、できるかぎり解釈によって規定内容を合憲の範囲に止める方法(合憲的制限解釈)または具体的な場合における当該法規の適用を憲法に違反するものとして拒否する方法(適用違憲)によって、具体的事件を処理することは妥当な方法というべきである。

そうして、公労法は、右一七条の規定に違反した職員に対して刑事制裁を課する規定はなく、違反した職員は解雇される旨規定(同法一八条)するほか、同法三条一項で労働組合法八条(争議行為等による損害賠償免責)の適用を排除し、結局、争議行為禁止違反者は民事責任を免れないものとするに止まっている。かつ、争議行為禁止の代償措置として、公共企業体等との間の紛争について公共企業体等労働委員会によるあっせん、調停、仲裁の制度を定め、ことに公益委員による仲裁委員会のした仲裁裁定は労働協約と同一の効力を有し、当事者双方を拘束するとしている。

してみると、公労法一七条一項の規定は、これにより禁止される争議行為の範囲、限度を前記労働基本権の保障とこれが制限の理念からして相当な程度に止めるように解釈する限りにおいては、これを憲法に違反する無効なものというべきではない。

(3)、なお、原告は、前記仲裁裁定なるものも、公共企業体等の予算又は資金上不可能な資金の支出を内容とするものは政府を拘束しないし、仲裁制度の現実の運用の不十分さの故に代償措置としての機能を果していないというが、政府としても裁定実施につきできる限り努力をしなければならないのであり、右の資金の支出を内容とする裁定については事由を附して国会に付議して承認を求めることが要求されることは、本件国鉄についていえば後記のような公共企業体としての性格からして制度上必要止むをえないところであり、また、仲裁裁定の制度の現実の運用が仮に一方の当事者にとって常に必ずしも満足できるものでなかったとしても、この故をもって仲裁裁定制度を無意味なものということはできない。

また、原告は、国民生活に影響を及ぼす争議行為は公共企業体等のそれに限らず、他の公益事業についても同様であるのに、他の公益事業についてはせいぜい緊急調整制度による制限に止めながら、公共企業体等については争議行為を一律に禁じるのは不当であると主張するが、公共企業体等の業務は全国的な規模にわたるものであり、その争議行為の国民生活へ及ぼす影響が他の公益事業に比較して広範囲にわたることも十分考えられるところであり、一方において争議行為禁止の担保としての違反者に対して課せられる不利益が前記の程度に止まり、代償措置もとられていることを考えれば、争議行為につき禁止という制限方法をとったことをもって必ずしも不当とはいえない。

(4)、そこで、公労法一七条一項で禁止される違法な争議行為を判定する基準について考えるに、これを事前に一般的に設定することは、前記のような公共企業体等の業務、その職員の職務または業務の多様性からして、反面、争議行為によって生じる影響の多面性からして極めて困難であり不可能に近い、この基準を抽象的に国民生活全体の利益、国民生活に重大な障害を与える場合あるいは公共の福祉としたところで、その具体的内容があいまいであるとの批判を免れえないところであり、結局は、個々の具体的事案について上来説示の理念に基づき法秩序全体の立場においてこれを決するより他に方法はない。そして、このように解することは、前記のように基本的人権の制限は他の基本的人権との関係においてこれをなし得るとの理念に合致するものと考える。もっとも、このように解するときは、判断者の主観に左右されるおそれがあり、基準の不明確による混乱も予想されないことはないけれども、元来、右基準を一般的に事前に設定することの困難なことは前記のとおりであり、結局は個々の事件処理の仕方についての批判を通じ、判例の集積されることによって法的予測が可能となると考える。

(二)、本件争議行為が公労法一七条一項により禁止されるべきものかを以下検討する。

(1)、国鉄の業務と国労組合員を含む国鉄職員の職務または業務

国鉄は、従前国家が直接経営していた鉄道事業を中心とする事業を引継ぎ、能率的な運営によりこれを発展させ、もって、公共の福祉を増進させることを目的として設立された公法上の法人であり(国鉄法一条、二条)、国鉄の資本金は政府が全額出資し(同法五条)、しかも、その基幹をなす鉄道事業は全国的かつ広範囲にわたり国民全体に対し輸送の便宜を供与するものであるとともに、全国主要幹線を独占し、とくに長距離輸送について特別の運輸能力を発揮し、他の輸送機関によってはその代替が著しく困難ないしは不可能なものがあり、私鉄とはその輸送能力とくに長距離輸送において質的な差異のあることは顕著な事実であり、このような国鉄の目的、組織、規模などからすれば国鉄の業務はそれ自体極めて高度の公共性を有する業務であると推認するに難くはなく、それゆえ、国鉄はその事業の運営、役員の任免、予算措置、会計の検査、業務の監査および運賃の決定などについて国会および国家行政機関から種々の法律上の規制を受けているのである(同法一四条、一九条、二二条、三九条の二ないし五〇条、および国有鉄道運賃法参照)。

一方、国鉄の現実の輸送業務の状況について考えるに、国鉄法制定直後の昭和二七年から昭和四七年までの間における国鉄その他の国内輸送機関の輸送量が別表七ないし一〇記載のとおりであることは弁論の全趣旨よりこれを認めうるところ、これによれば国鉄法が施行され国鉄の業務が開始されて後間もない昭和二七年当時の国鉄輸送量は、旅客輸送が八〇五億人・キロ、貨物輸送が三九三億トン・キロで、国内総輸送量に対する国鉄の分担率は前者が五九パーセント、後者が五四パーセントといずれも過半数を占めていたが、その後は、輸送量自体は増加しながら、分担率は漸次低下の傾向にあり、本件争議行為のあった年の翌年である昭和四五年においては国鉄輸送量は旅客輸送が一八九七億人・キロ、貨物輸送が六二四億トン・キロと大幅に増加しているが、その分担率は前者が三二パーセント、後者が一八パーセントとなっていること明らかであり、そうすると、なるほど交通革命といわれるほどの他の交通機関の発達によって国鉄の占める輸送分担率はその業務開始直後に比して大幅に減少していることは否めないが、輸送の絶対量は著しく増加しているのであるから国内輸送に対する国鉄の比重は依然として多大なものがあり、とくに旅客輸送なかんずく三大交通圏における旅客輸送(別表八参照)につき国鉄の重要性は増加の傾向にあるといってよく、これに国鉄の全国的に整備された輸送網の存在等をもあわせ考えると、国鉄の輸送力は現在に至るまでなおわが国の輸送力の主力をなしているものというべく、その独占性は失われておらず、国鉄の業務は全国津々浦々まで全国民の生活に密着しているのである。

ところで、社会経済の著しい発展に伴い、国民の社会経済活動も一段と活発かつ広域化した最近の社会経済情勢下にあっては輸送業務の果す役割は日増にその重要性を加え、とくに社会経済の発展および国民生活上大動脈の役割を担う国鉄の輸送業務の緊要性は格別であり、その停廃の規模、内容、態様いかんによっては国民生活に重大な障害をもたらし、わが国の社会経済に深刻な打撃を与えるおそれのあることは顕著であるというべきであるから国鉄の輸送業務はその実際においても公共性の強い業務といわなければならない。

前記二・1で述べたとおり、国労の組合員はいずれも列車の運行を掌るなど国鉄の輸送業務を直接担当する者というべきであるから、その担当職務は極めて公共性の強いものといわなければならない。

(2) 国労組合員を含む国鉄職員の争議行為禁止の一般的理由

前記のとおり、国鉄の基幹業務たる旅客および貨物の輸送業務はそれ自体公共性の強い業務であり、かつまた、国労の組合員は直接右の輸送業務を取扱うものであるから、その担当職務もまた極めて公共性の強いものであり、したがって、国労の組合員が争議行為を行うときは、それが職場放棄の如く単純かつ消極的な労務の不提供にすぎないものであっても、多かれ少なかれ直接、国鉄の輸送業務に障害を及ぼすことは否定できないから、争議行為が大規模かつ長時間にわたり継続して行われるに及んでは、社会経済に深刻な打撃を与え、国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な障害を与えるおそれが生ずることは極めて顕著である。とくに国鉄の全国的な輸送網による長距離輸送に至っては他の輸送機関をもって代替させることは著しく困難ないしは不可能であり、かつまた、高度の技術経験を要する動力車乗務員の職務は余人をもって即時かつ大量に代替させることは一般社会通念、経験則にてらし不可能である。したがって、国労の組合員による争議行為は、その規模、内容、態様等のいかんによっては、その禁止以外の方法により国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたらすおそれを回避することは著しく困難であるというべきであるから、この種の争議行為は公労法一七条一項前段にいう争議行為に該当するものとして禁止されるのが相当であると解される。

(3)、本件争議行為の評価

国労の組合員等による本件争議行為は、昭和四四年一〇月三一日午後七時に始まり翌一一月一日午前八時三〇分頃のストライキ中止までの間約一三時間三〇分にわたって行われたが、ストライキ中止後も同日中は終日旅客および貨物列車のダイヤが乱れ、長距離旅客列車のダイヤがほぼ正常に復したのは翌二日の午前中以降、また、貨物列車にあってはその回復に五日間以上を要したから、本件争議行為により国民多数は相当長時間にわたり輸送上の障害を被ったものといいうる。

また、その規模、態様においても、本件争議行為は北海道から九州までの太平洋岸沿いのほぼ一円(四国を除く)の広範囲にわたり二〇〇か所の拠点で実施され、拠点地域内にある函館本線、東北本線、信越本線、東海道本線、山陽本線、鹿児島本線および常盤線など、わが国の最重要基幹線を運行する列車の正常な運行を長時間にわたり阻害したため、前記1・(四)・(2)・(イ)記載のとおり長距離列車を含む多数の列車、電車等が運休および遅延し、右基幹線全般にわたり旅客および貨物の輸送を著しく停廃させたのみならず、とりわけ、東京・大阪周辺においては一一月一日早朝のラッシュ時間と競合したため通勤通学客等の輸送にも大混乱をもたらしたものであり、単に国民に迷惑をかけたとか、不便をかけたという程度に止まらず、多数の国民の生活利益を害し国民生活に対し重大な影響を与えたのである。

そうすると本件争議行為は、公労法一七条一項前段の禁止する公共企業体等の業務の正常な運営を阻害する行為に該当するものというべきである。

(三)、原告の行為は公労法一七条一項後段に該当するか。

原告の前記1(五)の行為のうち、昭和四四年一〇月二三日共闘宣言を発し、同月二七日から三一日までの間に開催された職場集会および決起集会において組合員に対し本件闘争への参加を呼びかける演説ないし挨拶をし、その頃腕章等を着用しアゴヒモを着用しない運動の実施、順法闘争の強化を指示し、同月二八日前記認定の如き内容のビラを分会掲示板に掲示し、同月二九日、三〇日の両日構内デモを指揮、実行し、および同月三一日午後一一時頃国労・動労組合員七名に対し乗務を放棄してストライキに参加するよう説得活動を行った行為は、いずれも公労法一七条一項後段の「そそのかし」あるいは「あおり」に該当する。

しかしながら、同年一一月一日午後八時頃代替乗務要員を乗せた乗用車に対するピケットを張った行為については、原告は一切関知していないものであり、また、右ピケット解除後吹田第一機関区長に対する原告らの抗議行動も、それ自体本件争議行為の実行行為でないのは勿論、他の一般組合員に向けられた行為でもなく、同日午前九時三〇分開催の解散大会における原告の演説は組合員に向けられたものではあるが、本件ストライキ中止後の言動であり、また、国鉄当局からの警告に対する原告の回答は組合員または役員としては止むをえない行為であって、本件闘争行為の一環としてなされたものではないから、これらの行為は、いずれも公労法一七条一項の前段、後段ともに該当するものではない。また、右行為以外、原告が本件争議行為を共謀した事実のないことは前段(二1)に認定・説示したところから明らかであり、他に、原告が同項前段、後段に該当する行為を行ったことについては、なんらの主張立証も存しないところである。

(四)、解雇権の濫用について

(1)、公労法一八条は、同法一七条一項の規定する違法行為をした職員を一律無差別に解雇すべき旨を定めたものでなく、右職員を解雇するかどうかは、職員のした行為の内容、態様、程度など諸般の事情を考慮のうえ合理的な裁量に基づき決定すべき趣旨のものと解するのが相当である。

(2)、ところで、前記のとおり、本件闘争は、被告が五万人合理化計画の一環としてEL・DL機関助士廃止、一人乗務制の実施を提案したのに反対して行われた国労・動労共闘による大闘争であるが、本来、被告が専ら右提案の早期実現のみを企図し、輸送業務の安全性および機関助士の身分保障ならびに労働条件の改善等につき組合員を納得させるべき積極的対策を十分配慮しなかったため、組合側の反対も増大し、遂に国労・動労共闘による未曽有の一大争議に発展したものであり、前記1、(二)で詳述したところからも明らかな如く、本件争議行為の誘発について被告の側にも一半の責任を否定しえず、本件争議行為の動機にも宥恕すべきものがある(したがって、本件争議はいわゆるスケジュール闘争ではない)。

飜って、原告は、国労吹田第一機関区分会の執行委員長として、同分会における本件争議行為遂行上重要な役割を果したことは否めない。しかしながら本件争議行為実施の大綱および戦術配置は中央本部で決定され、かつまた、地方本部においてさらに具体化され、分会は、最下部機関として、右決定等に基づき中央本部、地方本部の発する指令によっていわば自動的に闘争態勢に組込まれ、独自の方針、闘争態勢を採用しがたいものであり、しかも、前記吹田第一機関区分会における本件争議行為に関しては、一〇月三一日午前中に、原告を除く国労本部等の役員を構成員とする吹田地区現地闘争本部が樹立され、同現地闘争本部がストライキの拠点たる右分会における本件ストライキおよびその前段階たる準備闘争の具体的な計画、指導および実施を担当し、右分会執行委員長たる原告をして、同分会の組合員に対し右計画を伝達させ、本件ストライキおよびその準備闘争を指導、実施させたのであって、それゆえ、原告は右分会執行委員長として、ただ現地闘争本部を含む上部機関の決定等の確認、伝達、および本件闘争の意思統一を担当したものにすぎず、もちろん、本件闘争の計画に参画したわけではなかった。

のみならず、前記1(五)で認定したとおり、本件争議に関し、原告の行った共闘宣言の発布、各種集会における演説ないし挨拶、順法闘争等の指示、ビラの掲示、構内デモの指揮および実施の如きは、争議に際して各分会共通の行事として各分会にて通常実施されている闘争行為等の範囲内に属するものばかりであり、かつまた、原告の行った組合員に対する乗務放棄の説得活動についても、前記現地闘争本部の構成員たる松谷吹田支部執行委員長がこれを主宰し、原告はただその補助者として立会い補足的な発言を行った程度にとどまるのである。

さらに、本件闘争に関しては、組合員間で、本件EL・DL助士廃止、一人乗務制実施問題が自らの労働権、生活権に直接の関りをもつ重要な問題を多数含んでいたため、その関心も一段と高く、それゆえ、多数の組合員は本件闘争に対しいわば自発的に参加したものと推認するに難くはなく、したがって、本件闘争の実施について、単に分会執行委員長にすぎない原告の果した役割をしかく重要視することはできない。

そうすると、吹田第一機関区の業務の重要なこと、および本件争議行為により同機関区の輸送業務につき重大な阻害が生じたことは前段所述のとおりであるが、右争議における原告の前記程度の地位、役割、具体的行動に鑑みると、原告の責任を重大視することは妥当ではない。

また、被告が本件争議行為について国労分会執行委員長二名(原告ほか一名)を含む計六六名の職員を解雇したことは当事者間に争いがないところ、≪証拠省略≫を総合すれば、本件争議に際しストライキの拠点となった国労分会の執行委員長は、右二名の被解雇者のぞき、いずれも一ヵ月間ないし三ヶヵ月間の停職処分を受けたにとどまり、その中には、吹田第二機関区など、原告の所属する吹田第一機関区より規模の大きい職場の分会執行委員長も含まれていたこと、本件争議以前に、同争議以上の大規模な争議が国労により実行されたこともあったが、それまで国労分会の執行委員長その他の役員が公労法一八条により解雇されたことはなく、かつまた、本件争議後も、右分会役員に対し同法条に基づき解雇処分が行われたこともなかったことが認められ(これに反する証拠はない)、また、他に、被告が本件争議行為に関し国労分会執行委員長のうちとくに原告ら二名のみを解雇しなければならない特段の事由が存したと認めるべき資料もない。被告は、本件争議に関し、国労分会執行委員長の地位に相当する動労支部執行委員長一二名および同支部執行委員二名を解雇し、また、昭和四八年度の闘争に際しても同支部役員一四名を解雇したから、原告を単に分室執行委員長であるとの事由により解雇したものでなく、原告の解雇は妥当であった、と主張しているが、かりに被告主張の右解雇が行われたとしても、国労と動労とではその組織を異にし、国労分会執行委員長と動労支部執行委員長とでは闘争時における役割および具体的行動においても相違している(現に、本件争議について、原告と松井動労吹田支部執行委員長との行動を対比しても、その具体的行動に著しい相違の存したことは前記1・(五)・(4)に述べたとおりである。)から、動労支部の執行委員長その他の役員に対し解雇処分を行ったことをもって、原告ら国労分会執行委員長に対する解雇処分の妥当性を理由づける事由となすことは相当ではない。

すると、原告が昭和四四年一一月九日国鉄法三一条による戒告処分を受けたことは当事者間に争いがなく、かつまた、前記のとおり原告が国鉄当局から本件争議行為を行わないようしばしば警告を受けていたことも明らかであるが、このようなことを考慮しても、本件争議行為の目的、動機、および原告の役割、具体的な行為の態様、程度、その組合員に対する影響力、ならびに、その余の争議参加者に対する処分との比較衡量などからすれば、原告に対する本件解雇処分は著しく不合理で妥当性を欠く苛酷な処分であり、解雇権を濫用した違法無効なものといわねばならない。

したがって、原告は引続き被告の職員たる地位にあるものというべきである。

(五)、本件解雇処分の性質について

被告は本件解雇処分は公法上の処分であるから、重大かつ明白な瑕疵がないかぎり当然無効とはならず、本件解雇にはこのような瑕疵は存在しない、と主張している。

しかしながら、一般的にいって、被告またはその機関が行った行為は原則として私法上の行為たる性格を有し、とくにその公法的性格を規定したことが明確な実定法規(例えば国鉄法六〇条ないし六三条)が存しないかぎり、被告に関する法律関係がすべて公法上の規律に服し、被告またはその機関の行為が行政処分ないしそれに準ずる性格を有するものではない。公労法一七条一項は被告の職員の争議行為を禁止しているが、これも被告の事業の公共性とその規模を考慮した労働政策上の規定であり、これをもって、右職員の勤務関係を公法的に規律する法規とはなしがたく、同法一八条は、国鉄についてみれば、同法一七条一項による上来説示の理由による争議行為禁止の担保として禁止違反者を企業外に排除することを特に明定した規定であって、同法一八条の規定をもって右解雇処分を行政処分と認めたものとは到底解しがたく、他に右解雇処分を行政処分であるとみなす実定法規は存在しない。

したがって、右解雇処分は公法的規律に服する行政処分たる性格を有するものとは認められず、結局私法上の行為たる性格を有するものというべきであり(最高裁昭和四九年二月二八日判決、民集二八巻一号六六頁参照)、それゆえ、右解雇処分が違法であればその瑕疵の重大かつ明白であるか否かにかかわらず当然無効となるというべきであり、これに反する被告の前記主張は爾余の点について判断するまでもなく理由がない。

(六)、本件解雇無効の主張は信義則に違反するか。

被告は、原告が本件解雇処分後二年以上経ってから右処分の効力を争うことは信義則上許されない、と主張している。

本件訴訟は、昭和四六年一二月二七日提起されたのであり、本件解雇後二年と五日間の時日を経過していることは記録上明白である。しかしながら、もともと裁判所に対し出訴する権利は、時効や除斥期間等の制度の如く、時日の経過のみにより当然に喪失するに至るわけではなく、本件訴訟の如く、その立証活動等について多分に複雑かつ困難な要素を含み、裁判の長期化が予想される事案においては、立証面、訴訟経済面から考えて二年有余日の準備ないし熟慮期間は決して長期とはいえず、現に、≪証拠省略≫によれば、原告は被告から本件解雇処分の通告後直ちにその加盟する国労の担当責任者とともに右解雇処分を争う訴訟の準備に取りかかり、立証準備がほぼ完了し訴訟の支援態勢が確実になったので、本件訴訟を提起するに至ったものであり、その間原告はただ漫然と時日の経過するに任せていたものではなかったことが認められる。しかも、原告は、右時日の経過を別にすれば、他に解雇予告手当金を受領するなど右解雇の効力を争わない旨黙示の意思表示を行ったとみるべき事情も全く存在しないのである。

そうだとすると、原告が本件訴訟において右解雇処分の無効を主張することが信義則に反するものとは到底認めがたく、被告の右主張は理由がない。

三、賃金の請求について

1、本件解雇当時、原告がその主張のとおりの俸給表の七職群四八号俸として月額六五、七〇〇円の基準内賃金を受給していたこと、その後、原告主張のとおり昇格、昇給があったとすれば、その時点における八職群各号俸の基準内賃金の月額、および諸手当の支給率、支給額がいずれも別表一および二記載のとおりとなること、原告が昭和四四年一一月九日に前記戒告処分を受けたこと、昭和四五年四月期の昇給に関する協定によれば被告の職員は同月期に四号俸昇給するが、その一年前以内に戒告処分を一回受けている者は一号俸減となる旨が定められていること、ならびに、昭和四四年一二月当時における原告の平均賃金が一日金二、〇八九円六四銭であることは、いずれも当事者間に争いがない。そして、≪証拠省略≫を総合すると、原告と同時期あるいはそれ以降に被告の職員となり、かつ機関士を命ぜられたものでも、昭和四四年一〇月一日または翌四五年四月一日付で八職群に昇格していることが認められるから、他に特段の事情も認められない原告についても本件解雇がなければ遅くとも四月一日付で七職群から八職群に昇格していたものと推認でき、また、≪証拠省略≫によれば、原告は本件解雇がなかりせば、別表一記載の各始期において同表移行事由欄記載の理由によりそれぞれ昇給していたことが認められ、以上各認定に反する証拠はない。なお、右昇格、昇給とは別に、別表一の移行事由欄記載のとおり、原告が給与改訂による利益を享有できるものであることは当事者間に争いがない。そうすると、原告については、別表一記載の始期において昇格、昇給および給与改訂により、それぞれ記載のとおりの基準内賃金の支給を受けうるものと取扱うのが相当である。

ところで、被告はその職員の昇格、昇給は全員一律ではなく、平素の勤務成績を考慮して決定されるべきものである旨を主張し、なるほど≪証拠省略≫によれば、被告の制定した職員賃金基準規程四一条一項には、昇給は平素の勤務成績を十分調査して行うべき旨を規定していることが認められるものの≪証拠省略≫によれば、被告と国労は昇給の都度、昇給協定を締結し、右協定のなかで、昇給の非該当者および昇給欠格条項を定め、それに該当する者を客観的に抽出して昇給の停止あるいは一部減俸の措置を採っていたことが認められる(これに反し、被告が実際に職員各自の個別的、具体的な勤務成績を考慮して昇給、昇格を決定していたと認められる証拠はない。)から、前記職員賃金基準規定の存在は前記原告の昇給ひいては昇格の認定を妨げるものとはならず、他に原告の右昇格、昇給を妨げる事由は発見できないので、被告の右主張は採用しがたい。また、被告は、その職員の昇格、昇給は被告が当該職員に対し個別的意思表示を行うことによって初めてその効果が生ずるものである、と主張しているが、原告の如く、被告より不当解雇を受けた職員については、被告の個別的な昇格、昇給の意思表示をまつまでもなく、右解雇なかりせば当然昇格、昇給しえた時期に昇格、昇給したものと取扱うのが相当である。なんとなれば、使用者(被告)の責に帰すべき事由により不当な解雇を受けた職員が、解雇の意思表示の効力を争っている間、これと矛盾する昇格昇給の意思表示を受ける余地はなく、そのため、事後、他の一般職員といわれなき差別を受けて当然受けるべき昇格、昇給の利益を享受できないとすれば、それは極めて不合理であり、結果的にみて解雇の無効により被った不利益を実質的に完全には救済されなかったことに帰するからである。とくに、本件の原告の如く、その昇給基準が全く客観的に定まり被告の裁量の入りこむ余地がないとか、原告より下位のものまで既に昇格していることが明らかな場合には、右の不合理性は一層顕著なものがある。したがって、被告の右主張もまた理由がない。

したがって、原告は被告より別表一および二記載の基準内賃金および諸手当を受給する権利があり、かつ、昭和五〇年三月一日以降においても毎月二〇日の給料日(この事実は当事者間に争いがない。)に金一五四、四〇〇円の月額割合による基準内賃金を受給する権利があるというべきである。

なお、原告は、右のほかに、旅費および割増賃金の支払請求をなしているが、これらはいずれもその性質上被告の職員として現実に勤務することにより初めて発生する権利であると解するのが相当であり、原告が本件解雇後被告の職員として勤務したことにつき少しも主張立証のない本件においては、爾余の点について判断するまでもなく、原告には右旅費、割増賃金を請求しうる権利はないものというべく、原告の右請求は失当である。

2、(一)、ところで被告は、原告は本件解雇後の昭和四四年一二月から現在まで国労の役員の地位にありその組合事務処理の報酬としてその間前記基準内賃金相当額を給料として受給していたから、原告は、民法五三六条二項但書により、被告に対し右給料受給期間中右賃金の支払請求をすることはできない、と主張している。

原告が、本件解雇後も引続き国労吹田第一機関区分会執行委員長の役職に就いていたが、さらに昭和四五年一〇月から昭和四六年一〇月まで国労吹田支部書記長、同年一一月から昭和四八年八月まで同支部執行委員長、同年九月以降は国労大阪地方本部執行委員の役職に就いていたことは≪証拠省略≫により認められるが、その間、原告が国労よりその組合事務処理の報酬として給料その他の金員の支給を受けていたことは、これを認むべき証拠はなく、かえって、≪証拠省略≫によれば、原告は前記国労役員就任期間中、国労より犠牲者救済資金の貸付を受けてこれを自己の生活資金に充てていたことが認められるから、被告の右主張は爾余の点について判断するまでもなく理由がない。

(二)、また、被告は、原告は昭和四五年一〇月以降国労の専従休職役員として前記(一)記載のとおり国労役員に就任していたものであって、専従休職役員はその期間中被告に対し賃金支払請求権を有しないから、原告もまた右専従期間中はその賃金請求権はない、と主張している。

≪証拠省略≫によれば、被告の職員賃金基準規程二三七条一項には、「職員が専従休職職員となった場合は、いかなる賃金も支給しない。」旨を規定せられていることが認められるところ、ここに専従休職職員とは、被告の職員としての身分を保有したまま組合(国労)の業務にのみ専ら従事し、右専従期間中は被告より当然に休職の取扱を受けて労務提供の義務を免除されるかわりに賃金の支給も受けない、いわゆる在籍専従役職員を意味するものと解すべきところ、原告が昭和四五年一〇月以降前記(一)記載のとおり国労の役員に就任し、その間、国労の組合事務に従事していたことは前認定のとおりであるが、右期間中原告が国労の専従休職職員であったものと認むべきなんらの証拠も存在せず、かえって、≪証拠省略≫によれば、原告は本件解雇通告を受けた後は右解雇無効訴訟の準備等に携わる傍ら、その余暇を利用して国労の組合事務処理に従事してきたものであって、その際国労と組合事務処理に専念する旨の約束などを取交したことはなかったことが認められる(これに反する証拠はない。)から、被告の右主張も、爾余の点につき判断するまでもなく、理由がない。

(三)、最後に、被告は、本件解雇後は原告に対し労働基準法二六条により右解雇時の平均賃金の六割に相当する金員を支給すれば足りる旨を主張する。

しかしながら、労働基準法二六条は労働者の生活を保障するため労務の提供等を要しないで賃金の六割に相当する金員を休業手当として使用者に請求できる権利を認めた労働者保護の規定であって、民法五二六条二項による反対給付請求権(本件にあっては労働者の賃金請求権)を制限するものではないと解すべきであるから、被告の右主張もまた、爾余の点について判断するまでもなく失当といわなければならない。

四、結論

よって、原告の本訴請求は、被告に対し職員たる地位の確認、ならびに、別表一記載の未払基準内賃金六、六〇九、五四六円、同表二記載の未払の期末手当その他の諸手当金二、六一五、四四四円以上合計金九、二二四、九五〇円および昭和五〇年三月一日から本判決確定の日まで毎月二〇日限り金一五四、四〇〇円の月額割合による基準内賃金の支払を求める限度において正当であるからこれを認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法九二条但書を、仮執行の宣言について同法一九六条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石井玄 裁判官 砂山一郎 裁判官 窪田正彦)

〈以下省略〉

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